突然ですが私の職歴とライフステージの変遷について語りたいと思います。社会人になって今年で11年。
2026年で34歳になりますが、同じ会社で3年以上働いたことありません。会社を転々とし続けています。でも会社を嫌で辞めたことは、新卒で入社した会社以外はありません。
現在アメリカに駐在してますが、帰国したら同じ会社で3年以上働くことを目標にしています。(低すぎる)そんな私の職歴です。
周りからは、プライベートはうまく行ってるけど仕事のほうは微妙だね。と言われます。自分でもそう思います。
人間関係がうまくいってないくせに何言ってんだ。と思われるかもしれないですが、私はとにかく人運がいいと思っています。
これを邂逅と呼んでいいのだろうか。振り返ると、人生の節目でいつも誰かが手を差し伸べてくれました。
1社目:某キャリアの携帯電話の窓口営業(3ヶ月で退職)
最初の会社は、某キャリアの携帯電話の窓口営業をやっていました。人間関係がうまく行かない(店長に嫌われる)し、給与も安いし3ヶ月で退職することに。
なぜここに就職したかというと、あとがなかったからです。第一志望(旅行会社)も第二志望(アパレル)も最終面接で落ちてしまってもう働く自分が想像できなくて、好きだったケータイを扱う仕事であればいいんじゃないかと思い受けたら受かってしまった。それだけです。
どうしようもないですね。大学受験もそうでしたが、いざという時頑張れないし力が出せないんですよね。
人間関係がうまく行かなかった。給与が低かった。この経験があるから今があるので、ここに就職したことは嫌な思い出だけど、後悔はしていないです。
いざという時に頑張れない自分と、救ってくれた恩人
ただ、退職した当時は途方に暮れていましたが一社目の採用担当だった管理職の方が、仕事を紹介してくれたりご飯に連れていってくれたりして、私のことを肯定して励ましてくれたのでなんとか立ち直ることができました。
その方は、外資の保険会社出身で今の仕事は趣味でやっているような方でした。その時に金銭の余裕は心の余裕だと22歳にして実感しました。
2社目:大手メーカー子会社の生産管理(2年半で退職)
前職の上司から紹介された仕事は、お断りして自分で探すことに。でもやはり難しくて、新卒応援ハローワークに行くことに。そこで出会った担当の方が、いい人で話していく中でいい求人を数件見つけてくれたのでそのなかから3社応募しました。
その中に、気になる大手メーカーの子会社の求人がありました。職務内容は生産管理で、英語を使ったりいろんな人とコミュニケーションがとれそうな点に魅力に感じたし、お給料やお休みも申し分なかったので第一志望に決めて応募しました。
「英語で自己紹介してください。」とか無茶振りされましたが(なんちゃって語学部出身なので)乗り越えて無事採用されました。運が良かったなと。
その他2社について、1社は面接で落ちて、1社は内定をもらいましたが辞退しました。辞退の連絡をした際に、「内定をあげたのに、辞退されてはこちらも困る」と言われました。こんなことを言ってくる会社に行かなくて良かったと思っています。
激務と涙、そして結婚による関西への引っ越し
仕事は激務で、残業したり泣いたり休日出勤もしたりしていましたが、同じ部署の方がとにかく優しくなんとか頑張っていました。このまま辞めずに続けるのかなと漠然と考えたりもしていました。
仕事も落ち着いてきたと思った矢先、当時付き合っていた恋人と結婚することに。相手は関西で働いていたので仕事を辞めてついていく決断をしました。勤続年数は2年半ほど。
仕事を続けたい気持ちと、嬉しい気持ち。いろんな感情が蠢いていました。新婚生活、住んでみたかった関西へ引っ越し。辞めたくなかった仕事。また新しく人間関係を築かなければならない。うまくいかなかったらどうしよう。
それでも前に進むしかないので、引っ越した後すぐに転職活動しました。
3社目:財閥系メーカーの派遣社員(2年で産休へ)
転職活動の現実と、コロナ禍で見つけた「エンジニア」への光
前職の経験が生きる職をさがしました。最初はあまり大規模ではない会社の正社員で探していましたが、面接がうまくいかなかったり。今なら完全にアウトな質問ですが「お子さんの予定はありますか?」のような結婚出産を嫌がられているような質問を受けたりもしました。
正直に答えるとうちは産休・育休をとった人はいない。みんな退職していく。など言われたりしました。ただ働きたいだけなのに。当時は「あぁ、既婚女性の再就職ってこんなに壁が厚いんだ」と、目の前が暗くなるような悔しさを味わいました。
ポジティブな理由で退職したので、転職活動は困らないと思いましたが、思うようにはいかず派遣社員の選択をすることに。
就職は派遣で財閥系のメーカーの資材調達のバイヤーのアシスタントをしました。海外調達2課に配属になり、若い人が多く海外思考で人間関係は割とあっさりしていて居心地はすごい良かったです。
派遣社員で作業的な業務内容が多かったですが、新婚生活が始まり慣れない電車通勤、家事があったのでこれはこれで良かったと思っています。
正社員として就職できなかったこと。このままだったらずっと非正規のままで正社員に戻れないのではないかという漠然とした不安がたまに襲ってきました。なにかスキルを身につけないと仕事は安定しないから何か手に職が欲しいと考えていました。
転職して2年経って、妊娠しました。コロナウィルスの時期と重なったので外出が思うようにできず自宅で過ごす時間がふえました。その時に、ブログを書こうと思い立ちプラットフォームに登録してデザインを選んでいる時思いました。
「もっと自由に自分でデザインをしたい」この思いが私がエンジニアになった最初のきっかけです。
派遣の仕事は産休に入り、産休に入ってからも育休中も時間を見つけて独学で勉強していました。
転機:職業訓練校での再スタート
Webデザインの勉強を始めて、サイトを自分で制作できるようになりましたが、転職するためにどうしたらいいかわからず。どこまでのポートフォリオを作ったら戦えるのかわからず悩んでいるときに夫が「職業訓練校」という選択肢があることを教えてくれました。
給付金をもらいながら、学校へ通うことができる制度です。子どもの保育園探しをした後すぐに応募して、面接を通過し通い始めました。そこでデザインの基礎、HTML&CSSの基礎を学び、無事にECサイトの会社へWebデザイナーとして就職することができました。
初めての子育てと、ECサイトでのWebデザイン(アルバイト)
初めての子育てしながら働くので雇用形態はアルバイトにしました。勤務時間7時間。会社は家から自転車で通う事ができる場所で、保育園も通勤経路の道中にあり通勤時間10分程度。それでも仕事と家庭の両立はしんどかったです。この生活はいつまで続くのか指折り数えて絶望を感じたこともあります。
楽しさと絶望、そして「コードを書く方が好き」という気づき
数ヶ月経つと、ルーティンが決まってきて生活にも仕事にも少し余裕がでてきました。仕事は今まで経験した事がなかったクリエイティブな仕事ができて楽しかったですが、デザインチームの同僚はみんな美大出身でベースのセンスの良さが違うし、デザインは好きだが、デザインにこだわりはないことに気づきました。それと同時に、私はデザインよりもコードを書いたり機能を実装する方が好きであることにも気づきました。
Webデザイナーは時給も高くなく、このままだとせっかく頑張ったのに安月給で終わってしまうのではないかと考えるように。
そこで、今度はフロントエンドエンジニアに興味を持つように。そこからまた独学でWebアプリケーションを作ってみたりしました。読み込み速度や綺麗にコードを書く楽しさ。次はこれだ!!これを仕事にしたい!時給もWebデザインよりは高い!!
そんな矢先、タイミングよく2人目を妊娠しました。
一人目と同じように産休・育休中はWebアプリケーションの学習をするようになりました。ここでまた、Webデザイナーに就職する前と同じ『どこまでできるようになればいいか問題』にぶつかりました。
出産1ヶ月後にスタート!国制度のリスキリング受講
育休中に国制度を調べて、リスキリング制度というものを知りすぐに説明会やハローワークに行って受講までの道のりをしらべました。私は給付金の対象でかつ自分が学びたかったフロントエンドエンジニアの講座があったので6ヶ月のオンラインコースを受講することに。
受講を始めたのは、二人目を出産してから1ヶ月後です。我ながら、行動力に満ち溢れていてすごいと思ってます。
受講中は夫のサポートもありましたが、0歳と3歳の育児・家事をしながらの学習は正直大変でした。寝不足の日も続きました。
しんどい日はしっかり休みました。
6ヶ月のコースも終わり間近に次女の保育園も決まり転職活動をすることに。
転職サイトを活用し、応募してなんとフルリモートの会社から内定をいただきました!収入も2倍以上あがり大喜び。苦労が報われた気持ちでいっぱいでした。
念願のエンジニアへ。しかし8ヶ月で訪れた突然の転機
Wantedlyという転職サイトに登録して、活動をしていましたが、ある日会社からスカウトが来て、そのままカジュアル面談・面接・内定とトントン拍子で進みました。採用してくださった方は、自己PR文に「百聞は一見にしかず」経験したことない事はなんでも挑戦したい。と書いてあったから興味を持ってスカウトしてくれたそう。
捨てる神あれば拾う神ありですね。
念願のエンジニア・フルリモート。聞こえはいいですが、実際はめちゃくちゃ大変でした。リモートの意思疎通の難しさを実感。今まで勤続年数が短かったので今回は、何がなんでも3年以上しがみつくと思っていた矢先、夫の海外転勤がきまり8ヶ月で退職することになりました。
海外転勤は断ることができたかもしれないですが、海外に住む方がワクワクを感じたので退職の方を選びました。これも後悔はしていませんが、一つだけ心残りがあるとすれば、
私をスカウトしてくれて、採用してくれた上司とは、直接会うこともなく退職することとなってしまったことです。私にエンジニアとしての肩書きをくれた方なので、直接お礼を言えなかったことだけが心残りです。
偶然街中で会えないかな。とか考えたりしています。
現在、アメリカ駐在中。これからのキャリアへの不安と希望
諦めていた、娘たちと過ごす時間を取り戻し充実した毎日を過ごしています。でも、仕事のキャリアはまだ諦めきれていません。
AIが爆発的に普及しているのでエンジニアという仕事は不要になりつつあります。日本に帰ってから就職先はあるのか不安に襲われるときもあります。
駐在中も、エンジニアの学習をしたりアプリを作ってみたりして、いつでも帰国の準備はできるようにしています。
さいごに
3ヶ月、2年半、2年、そして8ヶ月……。文字通り会社を転々とし、周りからは「仕事の方は微妙だね」と言われる私のキャリア。自分でもそう思うことはあります。
でも、結婚、出産、そして夫の海外赴任というライフステージの激変の波に揉まれながらも、その時々で素晴らしい「人運(邂逅)」に恵まれ、独学とリスキリングでここまで打たれ強く進んでこられました。一見バラバラに見える点と点が、今の私を形作っています。
AIの普及やブランクへの不安は尽きませんが、アメリカにいる今も、牙だけは研ぎ続けています。
日本に帰国したら、私の人生初の目標「同じ会社で3年以上働くこと!」を目指して、また全力で就職活動に挑むつもりです(目標が低くてすみません!)。
もし、今のキャリアやライフステージの変化に悩んでいる方がいたら、こんな風に泥臭く、でも一歩ずつ進んでいる人間もここにいるよ、と少しでも励みになれば嬉しいです。





